okkaaa | 熱波
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チャプター4 赤のコントラスト
草深
私はあの熱波の中で起きた一連の事件が気になりましたので数日にわたって森やログハウスを訪れました。一部ではありますが既に森は焼けてしまっていました。**県、西側にある**町へと続く道路は、焼け焦げた木々と牧草地に囲まれていました。青々と茂っていた広葉樹や都市の何十倍もの種の生命体の姿はもうありませんでした。そこは夏になるとヒグラシが鳴き、鳥は群れをなして空を優雅に飛び回り、時折小動物すら姿を表しました。森には樹木だけでなく、草花やコケといった植物、菌類、微生物、昆虫、鳥類、爬虫類、哺乳類などの様々な動物が生息しています。森で生きていくことってどういうことかわかりますか?みんな生態系の中の絶妙なバランスを保って生育しているんです。私は羨ましいなと思いますよ。そういう意味で私たちは絶妙なバランスを保っているのかもしれないけれど。時の流れの早いこの時代の中でいろんなものを消費していく、時にそれは単位の集合体となってある生命体を壊すほどに搾取している。それを使って楽しむ人もいれば好んで孤立する人もいる。私たちは生きていく中で適切な人と適切な距離感で話しているようにそれまでに幾重もの調整がなされる。だからこそ気の置けない友達と出会えるその一瞬が喜ばしかったりするわけです。でも残酷なもので人の信頼は築くのにはあんなにも時間がかかるのに、壊れるのは一瞬なのです。こんな残酷な世界よりもずっと森の方が多様性に満ちているし、美しい。だけどそうやって現実世界を諦めろと言っているのではないです。だから私はこうやってその経験を生かして研究を始めたんです。妻が他界した時ですらその事件のことをずっと追っていたぐらいですから。
私は連日ログハウスの周辺の村を調べていました。マップを調べるとこの数km先に小さな集落があるということがわかりました。既にその村は焼け焦げてしまっていましたが、何とか住民を見つけ話を聞くことができました。小さな集落でしたがその時起きたことを私に説明してくれるというのです。私はあの事件のその後でなにが起きていたかどうか知りたかったのです。責任というと少し硬い言葉になるかもしれませんがそう言ったニュアンスに近いような感情をその時私は抱いていました。
彼女は「もうログハウスのあの夏は戻ってこない。もはやここにはあの思い出は存在しない。」と私に話しました。彼女は農業用の水を使って間一髪で身を守ったと説明してくれました。「子供たちは泣き叫び、火の手は玄関先まで来ていて、隣は車の倉庫。私たちの命は守れましたが、今の私たちに何が残っているというのですか。村はたくさんの動物とブドウ畑で成り立っているのに、全部なくなってしまった。」と私に語りかけてくれました。感傷的になってはいけないと思ったのか、火傷した手でズボンの裾を強く握りしめ、常に真面目にそして誠実に言葉一つ一つを選んでいました。時折見せる怒りのような言葉の魂がその面影の裏にある涙を私に見せるのです。
地元のブドウ畑の会社のマネージャー江島さんは、丘から炎が迫ってくるのを見たと言います。
「私たちは四方を完全に囲まれていて村を去るのは不可能でしたから、怖かったです。すべてが焼き尽くされると思いましたし、消防士はここに来るには忙しすぎたので、私たちの優先事項は事業を守ることでした。ウォータータンクをトラクターに載せて全力を尽くしたんです」と改修したばかりの古屋の黒くなった残骸の隣に立ちながら語っていました。「まだ被害を評価しなくてはなりませんが、数世紀の歴史を持つブドウの苗の40%が失われてしまいました。何とか私たちの命は守れましたが、それ以外はそれほど幸運ではなかったのです。」
大樹や昔からあるルビー色のブドウ畑が広がっていたこの森の景色は、今や素朴な黒焦げた残骸がしがみついている無残な光景へと変わってしまっていました。
ただこの火事の原因は未だわからずじまいでした。勿論、私の声の喪失についても。ただ手掛かりとなったのはあの少年の存在でした。山火事が起きる前に強烈な熱波に襲われた経験をしたものですから。ただ彼の手掛かりはログハウスから離れた森の奥という不確かな場所の認識と車だけです。私はそれを頼りに森を歩いて行きました。ただ昔の光景は既になく、木で覆われていた自然の壁は消え失せ、広大に広がる灰色の残骸と澄み渡る空だけです。むせ苦しい煙の匂いと視界を阻む白い煙だけが私の目の前にありました。ただ目線をその先に向けると一部だけ煙が多く上がっていることに気づきました。それは局所的な山火事というよりかは、何かを燃やしているような煙の上がり方でした。私は住民がいるのかと思いその場所へすぐ駆けつけました。大気の影響で視界は真っ赤でした。オレンジ色、いや赤に近いもやがかかっていました。やがて森一体が赤に染まって行きました。木々の骸はコントラストを帯び始め、輪郭がはっきりしていくようでした。舞う枯葉は真っ黒い真珠のように、木々の枝は鋭い剣のように。目の前は戦国時代の黄金色の屏風のような景色でした。まさに、戦場だったのです。
その時私は私の先に人影があるという事実に気付きました。隣には車の影もあります。赤のコントラストで顔面や詳細な姿は見えませんでしたが、その影ははっきりと人間だとわかりました。その影は私を睨んでいます。目線を外すことなく、何かを訴えかけるようにこちらを見ていました。するとその目線を察知した私は背中にざらざらした鱗のようなものが生えてくるのを感じました。恐ろしい寒気と熱気のはざまで今私に何ができると言うのでしょうか。
真っ赤なコントラストの世界に染まった、真っ黒な少年の体は、灼熱の地でたちすくむ焼け焦げた人の姿を彷彿とさせました。私は震えたった体を懸命に動かしながら、そのまま彼に近づきました。やがて黒がかったコントラストが消え、本来の面影が姿を表しました。私はその人間があの時の少年であることを願いました。正直、真相に近づきたいというエゴとそうあってほしくないという想いが一緒くたになり複雑な心境でした。その人影は背が高く、上半身だけは未だコントラストに包まれていました。私は彼に声をかけようとしましたが声を失っていることに気づき、何とか伝えようとタブレットを出してインタビューの時同様文字で語りかけようと思いました。その時彼は徐に語り始めたのです。「僕はこのような声だから、これまでいろんなところでいろんな差別を受けてきた。これがどれだけ辛いことなのか、深く人を傷つけるのかそれは僕にしかわからない。僕が一番忌み嫌うのはその声を利用しようとする虚な人々だ。高価な声を見繕い、適度な愛でうわべだけのマインドを綿クズで埋めているくせに、自分では気づかないで傷つかないでいる人間。もう人為的に声を操られる世界に僕はいたくない。僕のリアルは熱波によって消え失せていくんだ」そう言って彼は徐に燃える車に飛び込もうとした。私は急いで彼の背中を掴み止めようとした。だが私はその手で彼の言葉を奪ってしまったのだと気づきました。自分の意思とは無関係に彼を鈍器で殴り、声帯を剥ぎ取り、自分の一部にしようとしていた。燃える車の隣で私は一人の少年の命を奪ったのです。
(草深はデスクから体を後ろに傾け、カメラの方を見つめた)
私はもう逃げも隠れもしません。このインタビューを読んでいる皆さん。熱波で失われた声を生得的なものとして認識させなければこの未来が繰り返されてしまうでしょう。だから私の技術の全てこのウェブサイトに置いて行きます。残念ながら私はこの罪の意識に耐えることができませんでした。私に研究する資格などありません。これを読んでいるどなたかが正しい未来に導いてくれることを信じて。
ナレーション
画期的な音声インターフェイスの研究者として知られる草深氏のこの告白は全世界で注目を集め、連日、テレビでも大きく報道されました。
警察の調査によると実際に現場での車や少年の遺体などはなく証拠もなく目撃者もいないままで事件は架空のものとして考えられました。警察は、「草深氏は度重なるインタビューで気候不安症に陥った」と説明しています。
「地球の危機的状況に対する慢性的な強い恐怖のことで、不安感や極度の喪失感、無力感、悲嘆、怒り、絶望感、罪悪感、などを強く感じる症状です。草深氏は病に侵され幻覚を見ていると思われます。声帯器官も専門家によると支障はないのですが、ショックから思うように声が出せなくなってしまっているようです。」
一部市民からは自分の音声インターフェイスを世間に知らせるためのプロモーションの一部だと非難する人もいました。彼の話は確かに信じ難いです。しかし熱波に襲われヒートフォグ現象など一部の被害があることは見逃せません。彼の声明を勇気あるものだと捉えるか、御伽噺だと捉えるかは個人の自由に委ねられています。彼は今後どう評価されていくのでしょうか。ではまた来週。
ナレーションの締めの言葉と同時に放送は幕を閉じた。その後の草深氏の消息は未だ誰も知らない。ドライアイスが液体を素通りして、いきなり蒸発するみたいに彼は姿を消してしまったのだ。
続く