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​okkaaa | 熱波

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霧が濃くなりはじめた。まもなく陽が射してくるだろう。浮世絵のように輪郭のはっきりとした雲が上部に群れをなし、墨の如く濃淡のはっきりとしたどす黒い煙のような見た目で空をたなびいている。やがて、雲の細い隙間から射しこむ陽の光がさまざまな高さにある通路や回路、暗い部屋のカーテン、階段、橋のような踊り場をぼんやりと浮かび上がらせ、あちこちに光を拡散させる。やがて光は残酷にも神々しく光り始め、物体が吸収できる光の容量を超えるような力を持ち始める。余った光は乱反射し、私たちを熱波にさらす。

炎熱適応のチョッキをいくつかバックに入れる。僕は支度を早く終わらせようと心がける。できるだけ手ぶらでいきたいけれど、どうしても長い旅は荷物がかさばる。なぜ荷物が必要なのか?熱いところに行かなければいい話なのだが、僕はあいにく熱波の激しいところへ行かなくてはならないようだ。車での移動だが万が一の時を考えて何枚か持っていくことにしよう。金貨や時計、いくつか暇潰しの文庫本など持っていこうかと迷ったけれど、やめることにした。その高価で煌びやかな立ち振る舞いや、先達たちの聡明な知見も少しは魅力的だったけれど、今回はそれ以上にもっと実用的で本質的なものが求められている。僕が本来持っていながら十分に発揮できていない感覚や機能を引き出し、想像もしなかった自分を見つけるには、そういうものはいらない。今僕に必要なのは記録用のこの端末だけなのだ。(いやそれすらもいらないかもしれないが)

”この世界では暗記して覚えていても知っていることにはならない。それは教わったことを記憶に保存しているだけ。書物に頼った学識は単なる装飾であり、自分の土台にはならない。自分を映す鏡は世界。自分を正しく知るために、我が生徒は世界を教科書にしてほしい。”

モンテーニュは『エセー』でこう述べた。僕はこの言葉に大体は従っていると思うし、確かに胸の奥にしまっている。だからこそ僕はこの世界を飛び出すことに必然性を感じているし、闇の中ではない世界を見る必要があると思う。

闇の世界を革命派はリラックスをもたらすものだと説明する。そして、熱波がおさまるまで人々は暗闇の建物の中に入り、遮光性のあるボックスの中で眠る。眠りに向かうそのシーズンは、多くの人が食糧を買い込むため、食糧不足になりがちだ。眠りに向かうシーズンが過ぎると、店の棚には一切の商品が存在しない。商業施設はもちろんの事、全ての都市の機能が失われる。ネオンは全て消え、信号機、街の自動販売機、公共交通機関、ダムなどの設備は全て止まってしまう。そのため、熱波の中を彷徨う行為は自殺行為に等しい。熱波に覆われた世界には多く規制があり、多くの活動に制限がかかる。僕らの地区は熱波時には眠りにつくため、眠りの間の世界を知ることはない。ネットワークは全て分断されており、その地区のものしか聞けないようになっている。

今、僕は「暗闇しか知らない」という事実に弱さを感じている。僕は物事の分別がつくようになるまでに、この弱さを克服する必要があると思う。

僕は、声のdb.数を最小限に設定しながら、外に出た。自分の指定のボックスまで足を運ぶ。そこではスタッフとのコミュニケーションがあるかもしれないと僕は想像する。いくつかdb.を確保しておいた方がいいと思ったが、結局スタッフと話すことはなかった。眠りに入る前の人々はdb.を使い切っていることが多く、その過程においてあまり声を発することはないのだ

暗闇の中で、人々は各々のボックスに入っていく。僕も自分のボックスへ到着したが、内部で操作をすることはしなかった。僕は暗闇の中で外へ出る機会を伺っていた。眠りへと向かうスイッチを押した人々の空気圧が響いてくる。時間が経つたびその音が増えていく。まるでポップコーンのように。なだらかに音が鳴り始め、やがてピークが訪れる。ピークが去った後は僅かな音しか残らない。僕の周りはすでにピークは過ぎており空気圧の音も二分間隔になっていた。

やがて太陽の屈折率が大きく変わり始めた。暗闇のベールを剥がされる時が来た。熱波で多くの時間、熱にさらされた岩肌が姿を表した。慣れない光の量だった。いろんな物質や建物を反射した光が空中に漂い始めた。やがてその光は僕のボックスまで届くようだった。ボックスの内部の空調を管理するマザーボードに繋がれた幾重ものケーブルが光にさらされ、光線のようになってこちらに向かってくる。場内には警報が鳴り始めている。耳鳴りのするような高音波とパターン化されたリズムが永遠とループされている。やがてそのループの速度は上がり、僕の脳内の侵食が始める。「ボタンを押し、早急に眠りへ向かってください。」というメッセージが僕の網膜を覆っている。恐ろしいプレッシャーと切迫感に襲われた。光はあらゆる生命を無常に消し去り、破壊していく。全ての有機物が蒸発していく。水や花や草木や食器や絵や椅子やベッドや帽子、目に見える全てのものが蒸発していく。僕の体はサイレンのはち切れそうなループの轟音と目の前のボックスのケーブルの光線、そして蒸発する全ての物質の煙に覆われていた。やがてループの警告音はハープに、ケーブルの光線は星に、物体の蒸発は自分自身を焚く煙に。眠りへ向かう世界が僕を照らす。これは僕の世界の始まりの時。死は生の末端に違いないけれど、はじまりを告げる扉でもあるのだと実感する。死は生の終末ではあるけれど決して終わりではない。自身のうちへと入り、未知の部分と対峙するための重要な扉なのだ。

陽が射しはじめ、静寂が訪れた。太陽の屈折率が大きく変わり世界は真っ白になっている。僕は涙を拭い、となりにある遮光性メガネをかける。目の前の景色に目が馴染んできた頃、思わず息を止めた。色はまだはっきりとは分からない。けれどもコントラストがはっきりとしている。輪郭がある。溶けた建物の峰々としたこの風景がはっきりと見える。そんな目の前の光景を理解することができなかった。地平線がしっかりとある。判然としないながらも僕はここから進んでこの世界を確かめなければいけないと、そう思った。

静かに車両のエンジンの音だけが鳴った。ここから僕だけの世界が始まる。まだ見ぬ希望と感覚を見つけると何度も唱えるように、僕はハンドルを握り真っ白な世界でエンジンを駆動させた。

©︎okkaaa (2021)

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